医療現場の光と影

研修医けんしゅういだったあの頃ころ、私はただ人の命いのちを救すくいたいという純粋じゅんすいな気持きもちだけで、白衣に袖そでを通とおしていた。

四十年近くこの仕事しごとを続つづけてきた今、その初心しょしんを懐なつかしく思おもい出だすと同時に、あまりに多おおくのものを失うしなってきたことに気きづかされる。

研修けんしゅうを終おえ、外科げか医いとして現場げんばに立たった当初とうしょ、私は自分じぶんの技術ぎじゅつを過信かしんしていたのかもしれない。

ある手術しゅじゅつで、私わたしは長時間ちょうじかんに及およぶ困難こんなんな処置しょちの末すえ、もう助たすからないと誰だれもが思おもった患者かんじゃを救すくい出だした。

家族かぞくが涙なみだを流ながしながら何度なんども頭あたまを下さげる姿すがたを見みて、私わたしは医師いしという職業しょくぎょうを選えらんでよかったと心こころの底そこから感かんじた。あの瞬間しゅんかんの充実じゅうじつ感かんは、今いまでも忘わすれられない。

しかし、光ひかりがあれば、必かならず影かげもある。救すくえた命いのちの数かずだけ、救すくえなかった命いのちもまた私わたしの記憶きおくに刻きざまれている。

忘わすれもしない、まだ十歳じっさいにも満みたない少女しょうじょを受うけ持もったことがある。手てを尽つくしたにもかかわらず、病やまいの進行しんこうを止とめることはできなかった。

彼女かのじょが最期さいごに見みせた微笑ほほえみを思おもい出だすたびに、医師いしとしての無力むりょくさに打うちのめされる思おもいがする。救すくえなかったという事実じじつは、何年なんねん経たとうと消きえてはくれない。

患者かんじゃに寄より添そおうとすればするほど、一人ひとりひとりの死しが重おもくのしかかってくる。同僚どうりょうの中なかには、心こころを病やんで現場げんばを去さっていった者ものも少すくなくない。

感情かんじょうを殺ころし、一定いっていの距離きょりを保たもつことこそが、この仕事しごとを長ながく続つづける秘訣ひけつなのだと、先輩せんぱいには何度なんども諭さとされた。

だが、私わたしにはどうしてもそれができなかった。患者かんじゃを一人ひとりの人間にんげんとして見みてしまう以上いじょう、その痛いたみや不安ふあんに無関心むかんしんでいることなど、到底とうていできなかったのだ。

家庭かていを顧かえりみる余裕よゆうもなく、気きづけば妻つまとは距離きょりが生うまれていた。娘むすめの運動会うんどうかいにも、ほとんど顔かおを出だせなかった。

誰だれかを救すくうために、私わたしは自分じぶんの最もっとも大切たいせつなものを犠牲ぎせいにしてきたのかもしれない。それが本当ほんとうに正ただしかったのか、今いまでも答こたえは出でていない。

定年ていねんを間近まぢかに控ひかえた今いま、若わかい医師いしたちを見みていると、かつての自分じぶんの姿すがたが重かさなって見みえる。彼かれらに私わたしが伝つたえられることがあるとすれば、それは技術ぎじゅつでも知識ちしきでもない。

人ひとの命いのちに向むき合あうとは、喜よろこびと悲かなしみの両方りょうほうを引ひき受うけることなのだ。傷きずつくことを恐おそれていては、本当ほんとうの意味いみで患者かんじゃに寄より添そうことなどできはしない。

光ひかりと影かげ、その両方りょうほうを抱かかえながら歩あゆんできた道みちを、私わたしは後悔こうかいしてはいない。たとえ再ふたたび同おなじ人生じんせいを歩あゆむことになったとしても、私わたしはきっと、また同おなじように人ひとを愛あいしすぎて苦くるしむのだろう。