言語と文化の橋渡し

同時通訳どうじつうやく現場げんば二十年にじゅうねんってきたわたしにとって、言葉ことばやくすという仕事しごとは、ただおとえるだけのものではけっしてなかった。

そのわたし日本にほん大手おおてメーカーと海外かいがい取引先とりひきさきとの交渉こうしょうせきにいた。両社りょうしゃ幹部かんぶかいい、空気くうき最初さいしょからめていた。契約けいやく条件じょうけんめぐって、双方そうほうとも一歩いっぽゆず気配けはいせなかったのである。

交渉こうしょうなかばにかったころ日本にほんがわ社長しゃちょう突然とつぜんひくこえでこうはなった。「そんな条件じょうけんむくらいなら、はなし白紙はくしもどしてもらって結構けっこうだ。」

その一言ひとこといた瞬間しゅんかんわたしあたまなか警報けいほうった。これをそのまま直訳ちょくやくすれば、交渉こうしょう間違まちがいなく決裂けつれつするだろう。相手あいて文化ぶんかでは、「はなし白紙はくしに」という表現ひょうげん最後さいご通牒つうちょうひとしい。だがわたしには、社長しゃちょう口調くちょう表情ひょうじょうから、それが本心ほんしんからの拒絶きょぜつではなく、交渉こうしょう有利ゆうりすすめるための駆け引きかけひきであることがれた。

訳者やくしゃかたられた言葉ことば忠実ちゅうじつであるべきだ、と長年ながねんおそわってきた。一字一句いちじいっく正確せいかくうつすこと、それが通訳つうやくつとめだと。しかしいまこの瞬間しゅんかん正確せいかくやくすことと、真実しんじつつたえることとが、わたしなかこうからぶつかり合っていた。

言葉ことば一語いちごのこらずやくせば、それはうそではない。だが相手あいてこころとどくのは社長しゃちょう本意ほんいではなく、文化ぶんかかべゆがめられた誤解ごかいだけだ。わたし通訳つうやくであると同時どうじに、ふたつの文化ぶんかむすはしでもあるはずだ

まよっている時間じかんなど一秒いちびょうたりともあたえられてはいない。わたしいきひとととのえ、こうやくした。「社長しゃちょうは、現在げんざい条件じょうけんのままでは合意ごういむずかしいとかんじておられます。ぜひとも、たがいに歩み寄あゆみよれる余地よちさがりたいとねがっております。」

やくえた途端とたんわたし背中せなかつめたいあせつたった。これはたして通訳つうやくなのか、それとも越権えっけんという裏切うらぎ行為こういなのかわからなくなった

だが相手あいて代表だいひょうすこしだけかたちからき、はじめておだやかな口調くちょうで「こちらにも再考さいこう余地よちはあります」とこたじた。こおりついていた空気くうきが、ゆっくりとはじめたのがはだかんじられた。

交渉こうしょう結局けっきょく双方そうほう納得なっとくできるかたちまとまった会場かいじょうあとにするさい日本にほんがわ社長しゃちょうわたしかたかるたたき、「きみわたしいたかったことを、わたしより正確せいかくってくれたな」と小声こごえつぶやいた。

その言葉ことばに、わたし長年ながねんいだえてきたまよいがすこしだけれたがした。正確せいかくさと真実しんじつは、とき相反あいはんする。けれども本当ほんとう橋渡しはしわたしとは、かたられた言葉ことばおくかくれたおもいまでも、相手あいてきしへとはこんでやることなのだと思う

言葉ことば文化ぶんか狭間はざまで、わたし今日きょうもまた、えないはしつづけている。