喪失と再生の物語
二年という歳月が、彼女の指先から陶土の感触を奪っていた。
益子の工房は、夫が逝ってからというもの、時が止まったまま埃をかぶっていた。棚には彼が最後に焼いた茶碗が、釉薬の青を湛えたまま並んでいる。それらに触れることは、傷口にそっと手を当てる行為にほかならなかった。
轆轤の前に座ると、膝の上に置いた両手が微かに震えた。かつてこの手は、何千という器を生み出してきた。だが今や、土をどう扱っていたのかすら思い出せない。喪失とは、ただ人を失うことではなく、自分が何者であったかをも忘れさせてしまうものなのかもしれない。
彼女は陶土の塊を轆轤の中央に据えた。掌に伝わる冷たさと湿り気は、紛れもなく記憶の中にあるものだった。足で弾みをつけると、轆轤は低い唸りを上げて回り始めた。その回転に身を委ねた瞬間、堰を切ったように涙が溢れた。
泣きながら、それでも手は土を求め続けた。親指を中心に沈め、壁を少しずつ引き上げていく。不思議なことに、頭が忘れていた動きを、手は覚えていた。身体に刻まれた記憶というものは、悲しみごときに消し去られはしないのだと、彼女は悟った。
夫はよく言っていた。「器というのは、空っぽの部分にこそ意味があるんだ」と。満たされた器には、もはや何も注ぐことができない。空虚であることこそが、器を器たらしめている。彼を失って空になった自分の胸もまた、何かを受け入れる余地となり得るのかもしれなかった。
陽が傾き、窓から差し込む光が茜色に染まる頃、轆轤の上には一つの椀が姿を現していた。歪んでいて、けっして上手とは言えない。それでも、それは紛れもなく彼女の手が生んだ、二年ぶりの作品だった。
彼女はその椀を両手で包み込んだ。亡き人は還らない。けれど、悲しみは土のように捏ね直し、新たな形を与えることができる。喪われたものを嘆くばかりでなく、その喪失を糧として生き直すこと——それを人は再生と呼ぶのだろう。
窯に火を入れる日を、彼女はもう恐れてはいなかった。炎は土を硬く焼き締め、脆い塊を永く残る器へと変える。悲しみという火もまた、壊れそうだった彼女の心を、静かに鍛え直していたのだった。